ワシントンの連邦議事堂とその近くにあるいくつかの議員会館とは地下鉄で結ばれている。 トロッコのような地下鉄の車両には当然のことながら有名な議員と乗り合わせることもあるが、地方からの観光客といっしょになることもある。
あるときこの地下鉄でネブラスカ州から来たという初老の夫婦が、地元出身の議員とも会うことができてうれしい、と喜びながらも「われわれの税金でこんなすごい建物をつくりおって」と吐き出すように言うのを聞いたことがある。 そう、ワシントン以外の一般市民にとってこの町は特別の場所なのだ。
ワシントンばかりで仕事をしていると、ここがふつうのところと思いがちだが、世論調査の結果などからみれば、この夫婦の一言は多くのアメリカ人が共有している感覚であろう。 実際ここには「ベルトウェーの内側J(InsidetheBeltway)をはじめ、ワシントンの政治文化をあらわす言葉がたくさんある。
有名な法律事務所やロビイストの事務所が集まる「ストリート」、そしてそこで仕事する人たちが愛用するブランド名から名付けられた「グッチ・ガルチ」(グッチ渓谷)などもある。 その半面、ワシントンはまた有権者の心をつかまねばならない政治家が集まる都市であるから、ふつうの市民が住む「メイン・ストリート」や「イリノイ州ピオーリア」という言葉も発信される。
こうした「ワシントン英語」を集めれば、アメリカの政治が英語のキーワードを通じてかなり理解できるのではないかと思い、ワシントン駐在中からその作業にとりかかった。 ここでは取り上げた言葉の説明だけにとどまらず、その背景やアメリカ人、あるいはアメリカの政治家、そしてひろくワシントンで仕事をする人たちのものの考え方までに触れることができるようにまとめてみた。
内政に関する言葉だけでなく、安全保障、外交に関するものももちろん対象としたが、ワシントンがアメリカの首都であり、アメリカが西側世界の指導的地位にあったため、とっくに終わった冷戦期の表現が少なくない結果となったことはおことわりしておきたい。 ここに収録した多くの項目は1994年4月16日から1997年3月15日まで、「P」というタイトルの下で、月に1度「M」に掲載したものである。
これらのものには手を加えるとともに、これのためにいくつかの項目を新たに書き加えた。 「M」の掲載分について転載を認めてくださったM新聞社英文局にお礼を申しあげたい。

研修生だった女性に対するホワイトハウス執務室での「不適切な行為」がもとで偽証罪などの疑いに問われ、下院での弾劾決議、上院での弾劾裁判までうけたC大統領は、結局ホワイトハウスを追われることとはならなかった。 しかし、それまでの長い期間、日々過熱しそれ以外のことは何も目に入らないようなワシントンからの報道ぶりとはまったく逆に、ワシントン政治の外にいる一般市民は醒めていた。
何度かの世論調査は「こんな騒ぎはもう結構」という声が多数であることを示していた。 ワシントンとそれ以外での考えの違いについて、1998年秋のある日のN紙が「この問題ではBeltwayの中と、その外側との間にはギャップがみられる」と報じたのを初め、日本の新聞でもこのBeltwayが話題になるようになった。
実際、首都ワシントンを取り巻く環状高速道路ベルトウェーには、目に見えないが高い政治の壁がそびえ立っているようだ。 その内側でアメリカの政治を動かす人・動かそうと思う人、その外側の名もなき草の根の人たち。
このふたつのグループを隔てる厚い壁なのである。 ベルリンの壁が1989年11月に崩壊し、東西対立を生んでいた世界の冷戦構造も急速に崩れていった。
これまで「ソ連の軍事的脅威」のために巨額の国防費(アメリカのGNPの6%も占めていた)は、PeaceDividends(平和の配当)として、有意義な目的に使おうではないか、という声がでてくるのは当然だった。 O州選出の連邦下院議員で、対外援助問題に明るいMは次のようにいっていると当時のN紙は報じていた。
ワシントン・ベルトウェーの外側にいる人たちは、平和の配当というものがあるなら、それを自国のハイウエ一再建に使うべきだといっている。 そうした人たちを非難はできない。
これまで通り対外援助を、というのがベルトウェーの内側の人たち。 冷戦が終わったのだから、余裕のあるお金は対外援助などではなく、自分たちの足元をみて圏内で必要なことに投資しようではないか、というのが外側の人たちということになるのだろう。
それでは、内側の人たちとはだれか。 ワシントンにいる政治家、高級官僚、議員、政治評論家、コンサルタント、ロピイスト、ジャーナリストなどがすぐ頭に浮かぶ。

連邦議会の選挙が終わり、改革するのだと意気込んでワシントン入りする新しい議員にも、新しく大学や高校に入ってきた新入生のオリエンテーションと同じように、ワシントンで生きていくための指導が行われる。 1992年11月の選挙後、こうした新議員がワシントンでの生活にどのようにしてなじんでいっているのかをまとめたNの記事は、IntroductiontoLifeInsideBeltway(ベルトウェーの中での生活に向けて)という格好の見出しがつけられていた。
また1993年末に辞任したL国防長官の後任として、当初、元CIA(米国中央情報局)の副長官だったBが指名された。 彼は結局は辞退し、最終的にはWが長官になったが、I元CIA副長官とはどんな人物かについて、評論家のA・Rは1994年1月3日のニューヨーク・タイムズ紙で、InsidetheBeltway(ベルトウェーの内側)とそのものずばりの題で、その国防長官指名への反対を論じた。
RはこのなかでBIが、ワシントンの有力者と仲良くなり、その人たちをうまく動かす術を知るワシントンのインサイダーなのだと書いていた。 「ベルトウェーの内側の人」をうまく表現しているのではないだろうか。
ベルトウェーの内と外とを区別する考えがでたのは、当然ベルトウェーが建設されてからのことであろう。 全長100kmあまりの、ワシントンを取り巻くこの高速環状自動車道路は、2億ドルと10年の歳月をかけ、1964年に完成した。
もともと連邦政府が強くなるのを嫌っていたアメリカ人は、このベルトウェーを1960年代以降ますます強くなっていく連邦政府の格好の象徴と考えるようになった。 実際にその内と外を区別する表現がでたのがいつからかはわからないが、私が気づいたのはウォーターゲート事件の時だった。
1972年6月17日、ポトマック河畔に近いウォーターゲート・ビル内の民主党全国本部事務所にCIAあがりの連中が忍び込み、なかの書類を荒らし、その内容をカメラに収めているところを警察に捕まった。 初めは「三流の忍び、込み事件」として、「ベルトウェーの外側で関心を持たれることはないだろう」と思われていた事件が、最後にはベルトウェーを越え、N大統領を辞任に追いやることになったのは、今回のC大統領の場合とまったく逆である。
アメリカ人の心には、ワシントンはアメリカではないという意識が抜きがたくある(その意味ではニューヨークもそうだ)。

書かれている英会話の底値を徹底比較しました。英会話の検索がとっても楽になりました。
英会話の差に驚きました。一つ上の英会話をしたい人必見です
英会話を楽しもう。英会話をすばやく探せます。